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代表者の上場志向から極端な拡大路線に走り、不採算案件の受注やソフトウェア開発に係わる投資の失敗、大口顧客の倒産などから損失計上を重ね、債務務超過状態に転落。これらの事態から、ワンマンな代表者への不満が爆発する形で、東京支店が分離独立して別法人化し主要顧客を失う事態が発生。資金操りが逼迫し、民事再生申立てに至った。
所在地 | 大阪府 |
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業種 | サービス業 |
従業員数 | 8名 |
設立・創業 | 設立:平成13年2月/創業:平成2年 |
事業分野 | その他(広告代理業) |
事業概要 | 地元不動産デベロッパー6社を軸に地盤を形成。不動産広告を主軸とした運営であるが、単なる分譲物件の紹介に留まらずに独自の調査に基づく立地や環境等の魅力を訴求。独自の構成力には定評がある。 |
社長の年齢 | 30歳代 |
創業時の属性 (職業) |
会社勤務(中途退社) |
業容を拡大するも前代表の上場を目指した拡大路線から不採算案件を抱え債務超過に。受け皿として当社を持株会社として設立、吸収合併により財務改善を図るも、拡大路線を踏襲したことで、再び債務超過へ。その他、焦付き発生やソフトウェア開発の頓挫など問題が頻発、代表のワンマン体制への不満が爆発、旧東京支店が分離独立するという事態を招き主要顧客を失う。これに先の問題も相俟って資金繰りに窮し、民事再生法を申立てに至った。
平成2年に大手広告代理店OBの前代表者によって創業。同氏の前職時代に培った人脈を駆使する形で大手2社を主たるクライアントとし、顧客紹介を受けつつ数百万円単位の案件を消化。着実な実績が評価され、更なるリピートオーダーに繋がるという好循環を生み、平成8年9月に法人化。いわゆるバブル経済期と近時の不動産業界の活況までの過渡期という厳しい状態にあったが、当地の地方公共団体からの受注を消化しつつ、設立初年度に約1億5,000万円に過ぎなかった年商は平成9年に約3億円に拡大。更に、続く平成10年の売上は3億7000万円と実質倍増。デベロッパーからの不動産広告受注と平成12年に開催された淡路花博(ジャパンフローラ)に向けての自治体によるプロモーション需要を取り込む形で平成11年の通期売上は約7億円にまで進展。株式公開を目指すことになった。
代表者の意向に沿う形で極端な拡大路線を志向したために赤字受注が頻発するようになる。債務超過状態に陥り、救済措置として平成13年に別途持株会社の体裁にて当社を設立、同年9月に旧法人を吸収合併することで財務体質の改善を図ったが、合併初年度より損失計上。また、株式公開を急ぐ余りソフトウェア開発に5,000万円もの資金投下を行いながらも、本業との補完関係を見出せず、多額の損失を計上する。続く平成16年も最終赤字となった事から僅か3営業年度で債務超過状態に転落することとなった。加えて、余りにもワンマンな代表者への不満が爆発する形で東京支店が分離独立して別法人化。かねてからの中核顧客であったデベロッパーの本店が東京都内に集中している特性上、同地における橋頭堡を喪失した打撃は大きく、同営業年度の売上は前年対比で50%を割る水準にまで急降下。平行して、当時の中核顧客の1社が民事再生手続開始を申し立てたことで3,000万円が回収不能となり資金操作が逼迫していった。
旧法人の救済合併に先行する形で新規の出資者を募り、最終的に1億7000万円の資本金を集め財務体質は良くなり、一時的に無借金経営を実現。また、旧法人の在籍人員がそのまま移籍する形となり、顧客管理を含めた承継作業はスムーズに行われた。しかし、拡大路線に端を発し、前代表者への不満が爆発し、旧東京支店の分離独立となった。大阪に本店を置く親密な顧客先からの受注獲得と、営業コスト管理などの経費圧縮策による業績回復を目指した。さらに、東京支店の独立後は、これに先立つ大口不良債権発生という苦い経験を活かして与信管理にも努め、身の丈にあった売上高確保を志向した舵取りをしてきた。しかし、結果としては、過去の投資失敗に係る多額の損失計上が、資金繰りを逼迫化させ、自力再建の可能性は低いとの判断に至り、平成16年4月に民事再生手続開始申立に至った。
代表者のワンマン志向とその抑止力に欠ける社内体制
早期の株式公開を目指しひたすら事業規模の拡大のみを追い求め、時に人事権を振りかざして恫喝をも行っていた代表者の経営姿勢に対し、幹部を含めた全社員の萎縮をもたらし、経営方針に対する意見の機会の一切を奪う状況に陥っていた。
東京支店の分離独立による売上の激減
主要なクライアントが不動産デベロッパーによって構成されており、その本店は東京都に集中していたが、総売上高の8割を上げながらも十分なインセンティブが得られず、代表者の経営方針に強い不満を持っていた東京支店の分離独立を機に売上は激減。当社本店の顧客である地方公共団体にしても、その財政難から安定受注が見込める状態にはなかった。また、営業地盤が特定業界へと傾注していたためにリスクヘッジも困難で、大口の焦付発生に至り、失敗に終わった投資と合わせて経営を悪化させる要因となった。
株式公開を急ぐあまり、売上至上主義に陥り出血受注が多発したため、旧法人は実質的な破綻を余儀なくされた。同社の事業承継を行った当社にしても、度を越した拡大路線により、業績面はもとより社内組織に発生した歪みを助長。主要顧客を根こそぎ奪う形での別法人化という最悪の結果に繋がっている。特定地域に偏在した特定業種の顧客のみを対象とする歪んだ営業地盤の是正は全く考慮されないまま放置され、あまりにも近視眼的な経営判断がもたらした結果である。不動産分譲業者向けソフトウェア開発にしても、事業の多様化と銘打ちながらも、実態は単なる「株式上場」対策であり、明確な戦略を持たぬまま実行に移されたが、経営資源を浪費し、経営体力を更に疲弊させるのみであった。その後の大口顧客の倒産による焦付きも、顧客管理が不在となっていた証拠である。
ITバブルの記憶が次第に風化を始める中、海外ではGoogleがNASDAQへと上場して世界中の耳目を集め、国内においても既存の証券取引所に比して大幅な上場要件を緩和した新興市場が台頭。IPOによる創業者のキャピタルゲイン獲得の実例が喧伝されていたこともあり、冷静な経営判断を妨げる背景となった。また、当地の地方公共団体・民間企業にしても、兵庫県南部地震により多大な被害を蒙ったために一部の大手企業を除く地域経済は長期に亘り停滞。先んじて経済復興を果たした首都圏に受注の大半を依存せざるを得ないという苦しい状況下にあった。
売上至上主義の下、業容は拡大傾向にあったものの、新規開拓先との取引開始に伴う潜在的なリスク査定を蔑ろにし、採算を度外視した活動に傾斜したことで経営安定性は大きく揺らいだ。行過ぎたトップダウン体制が社内不和を生み出すという悪循環も発生。更に、得意分野への傾注から営業地盤の改善も一向に進展しない不安定な状態が続き、2度の企業破綻に繋がっている。特定業種への過度の依存は回避するべきであり、当社の場合はこれに加えて特定地域に顧客が偏在するという二重に安定を欠く経営環境にあった。取引先の経営破綻に代表される不測の事態へ対応するためにも複数の業種に安定顧客を獲得するなど、リスクヘッジ策が必要であった。また、設立後の実績が浅い時期に積極的な経営資源投下を行うよりは、地盤拡充・安定化のための資金として運用するべきであった。
平成16年4月に民事再生手続開始を申立てた後、同年9月には民事再生手続の終結決定と見かけ上は早期に企業再建が終結したように見受けられる。しかし、実態は弁済金額を負債総額の25%と通常よりも高めに設定することで裁判所の認可を取り付けやすくするという代表者の打算であった。今なお7,000万円超の再生債権が残るうえ、直近の営業年度においても営業コストを賄うだけの収益確保を果たしておらず、累積損失は拡大の一途にある。ただし、再生計画終結直後に新たに就任した代表者は、前任者の轍を踏まぬよう、社内・社外を問わず各ステークホルダーとの関係構築を重視した上で、身の丈にあった売上確保を重視する縮小均衡の経営を進めている。無借金経営を実現するなど企業再建に向けた意欲的な姿勢が窺え、平成22年に予定される最終弁済後に、真の意味での再スタートが期待される。