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急成長を遂げていたが、設備投資を性急に行ったため、借入過多による金利負担の増大で、次第に資金繰りが悪化していった。OA用品市場の拡大に伴う競争激化により、価格消耗戦がおき、利益を確保できなくなり資金ショート。民事再生法の適用申請に踏み切る。引き続き経営努力を重ね、約2年後の2007年には民事再生手続終結、新体制もスタートした。
業種 | 製造業 |
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従業員数 | 25名 |
設立・創業 | 創業:昭和63年 |
事業分野 | その他(OA用品製造卸) |
事業概要 | 一般企業を販売対象としてOA用品の製造販売を手掛ける。 |
社長の年齢 | 30歳代 |
創業時の属性 (職業) |
会社勤務(中途退社) |
成長を急ぎ、資金のほとんどを借入に依存した形で相次いで設備投資を実施。その結果、借入過多となり金利負担が重荷となっていった。一方、OA用品の市場拡大に伴い同業者間での競合が激化。価格競争に巻き込まれ採算性が悪化し、次第に資金繰りが悪化していき、民事再生開始申立てに至る。
電気メーカーを中途退社後、昭和63年に法人向け文具品の販売業として個人創業開始。平成7年にOA用品の需要が増えて対応するとともに、顧客の要望するOA用品の製造販売を手がけるようになる。全国展開を進め、順調に売上を拡大し、販売開始時点に2億5,000万円程度であった年商は右肩上がりで伸び、平成13年には年商10億円を突破するまでに成長した。
さらなる成長を急ぐため、平成11年から同13年にかけて機械設備の購入、工場用不動産の取得など、相次いで設備投資を実施した。資金のほとんどを借入に依存した形で矢つぎ早に設備を拡張させていった。また、急成長に伴い、大幅な人員の増強を行った。その結果、借入が増大し、次第に金利負担が重荷となっていった。更にOA用品の市場拡大に伴い同業者間での競合が激化。同業との価格競争激化によって採算性が悪化し、消耗戦に組織も疲弊し、利益の縮小が目立つようになり、資金繰りが多忙化していった。
資金繰りが逼迫し、資金ショートを起こし、平成17年に民事再生法を申請。申請後に営業所4ヶ所、工場1ヶ所を閉鎖した。本社と第一工場の社有物件を売却。さらに60名以上いた従業員を25名に削減するなど、大幅な経費削減を図った。それとともに販売アイテムを製造部門を中心としたOA用品に絞ることとした。その結果、売上は民事再生前の2分の1以下になったが、各種経費の圧縮により販管費は3分の1となり、営業利益としては黒字に転換した。
性急な設備投資で財務を圧迫、人員組織整備の遅れも
急成長を遂げていたが、設備投資はいささか性急過ぎた。借入過多による金利負担の増大で、資金繰りが多忙化していった。また、事業規模の拡大にともなって従業員への教育や意識改革も十分に出来なかった。設備の整備が優先され、人事組織政策は常に後手に回っていた。
競合激化による業績の伸び悩み
価格競争に巻き込まれる過当競争時代の到来が想定より早く、その時期を読み間違えた。営業所の全国展開、工場の増設、子会社設立等の設備投資の効果が思いのほか表れず、価格競争による採算性の悪化からくる資金繰りの多忙化ばかりが目立つこととなる。
不調のときは誰しも厳しい目と判断で事にあたるものだが、好調の時にはそのような気構えが緩みがちとなってしまう。好調な時ほど、市場に対する甘い観測は排除し、いつか落とし穴があると考えて経費は出来るだけ最低限に抑えるべきであった。
バブルが弾けた後は、不景気が世の中を覆うような状況であり、既存市場は軒並み低迷したため、新しいもので儲かりそうなものが出ると皆こぞって参入に動いた。想像以上のスピードで過当競争の状態となり、それに伴い熾烈な価格競争となり、結局は多くの企業が収益を確保できなくなった。当社は相次ぐ競合の参入に差別化が打ち出せず、消耗戦に突入していった。
その時々に訪れる小さな課題をおろそかにせず、徹底して改善に取り組む姿勢が大切であると考える。そのことが社員も含めた全員がプロとして更なる成長が望めるものと確信している。常に冷静な目で状況を判断し、勇気と執念を持って事に対処する気構えを持ち続ける。ならば、経営に終わりなし、人生に終わりなし。
引き続いての経営努力により好転し、2007年には民事再生手続終結。社長は現在も代表取締役社長として経営に携わっており、新体制第1期(変則期間)は年商3億円を見込んでいる。