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売上自体は増加していたが、建設業界の市況冷え込みから不良債権も散発、資金繰りは多忙化していった。このような状況下で、資金面の支えになっていたのは金融機関ではなく、取引先の一社であった。一社へ依存した経営体質にあって、依存先の倒産とともに経営は破綻。建設業界の動きが鈍化している中、取引先は先細り感が強く出始めていたにもかかわらず、既存の一社に対する容易な営業を続けた。業績低迷に対して特別な策をとらず、一社依存体質から脱却できなかったのが倒産の要因となった。
所在地 | 福島県 |
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業種 | 製造業 |
従業員数 | 27名 |
設立・創業 | 設立:平成7年3月/創業:昭和28年 |
事業分野 | その他(プレカット部材製造) |
事業概要 | 建築用木材のプレカット加工を専業とし、販売は建設会社や工務店、さらに製材業者のほか、個人大工といった小口の需要家に対しても行なっている。プレカット工場は財団法人日本住宅木材技術センターの認証施設となっている。 |
社長の年齢 | 50歳代 |
創業時の属性 (職業) |
会社勤務(その他:会社役員) |
売上自体は増加していたが、建設業界の市況冷え込みから不良債権も散発、資金繰りは多忙化していった。このような状況下で、資金面の支えになっていたのは取引先の一社であった。次第に販売不振となり、売上も大幅減収。その対策として、支援先に対する製品供給量自体を増やす容易な策を取り、より依存を強める結果となった。一社へ依存した経営体質から脱皮できない状態となり、依存先の倒産とともに経営が破綻した。
前身企業は昭和28年に個人創業した製材事業者である。有限会社を経て、昭和42年に株式会社に組織変更を行なう。事業は製材業者として銘木及び一般木材や建築資材の販売を行い、地元のみならず県外における顧客も増やしていった。プレカット工場を併せた後の規模は郡山市内の同業者の中でもトップクラスに至った。県外にも営業所を設け事業は拡大、平成13年には12億8,000万円の売上げを確保するに及んだ。
売上げ自体は増加していたが、建設業界の市況冷え込みが強く、債権が不良化する頻度も高まり、資金繰りは多忙化していった。こうした中、資金面の支えになっていたのは金融機関ではなく、取引先の一社であった。実際、その付き合いは長年に及ぶものであり、販売先として営業上の関係も深く、経営全般にわたって親密な間柄で、その企業の支援は当社にとっては欠かせないものであった。市況回復の遅れから販売実績も低下し、平成15年には年商8億円台まで低下。大幅な減収を計上することとなった。
減収への対策として、支援先に対する製品供給量自体を増やす安易な策を取り、営業上の依存はこれまで以上に一社に対して強める結果を招いてしまった。その状態が固定化した経営に陥り、その体質を改善できる余力もなかった。その結果、業績は平成16年に一時的に回復を見せたが、突然の支援先倒産により資金支援が得られなくなり、資金繰りの目処がたたず法的整理(民事再生、負債総額約12億4000万円)を選択した。
特定取引先に依存した体質
資金面の支えとなっていた先に営業面においても依存する形となり、他の外部先に対する営業努力を怠っていた。一社への取引依存度を強め過ぎた事で経営の弾力性は薄れ、さらに最悪の事態を想定した危機管理能力にも欠乏していた。
特定取引先の倒産
長年にわたり特定の取引先に資金面を支えてもらい、営業面も厳しくなるとその先に依存してしまう経営の甘さがあった。自力で業績を回復する努力に欠け、一社へ依存した経営体質から脱皮できない状態で、依存先の倒産とともに経営は破綻した。
大きく落ち込んだ業績に対して、特別な策をとらなかった。市況自体、上向き感がなく、まして建設業界の動きも鈍化している中、販売先では先細り感が強く出始めていたにもかかわらず、既存の一社に対する営業を主体とし、一社依存体質から脱却しきれなかった。
建設関連に身を置く立場として景気低迷は営業面で大きく響いた。有力企業は官公庁発注の工事に依存したところも多く、公共工事の削減で製品需要の低迷を続けた。小口の需要家は安価製品に走る傾向を強め、売上げ確保は容易ではなかった。
十分な保有資産がなく、自己資金も欠乏していた状況で金融機関からの融資が得られず、最大仕入先である企業から設備資金や運転資金までも支援してもらい、操業した。初期投資の部分としては外部依存度が高過ぎた事に加え、営業面も資金同様その先に比重を掛け過ぎた。自立すべき姿を経営ビジョンに描き、それに向けた営業努力を行なうべきであり、弾力性を兼ね備えた体質を形成できれば相応な抵抗力も身に着けられたと思う。財団法人日本住宅木材技術センターから認証を受けたプレカット工場を有しており、その高い技術力で製造加工された製品も相応な評価を得ていた背景があるにもかかわらず、リスク管理が甘く営業面では特定先への大口供給を続け、またその状態を特に省みず改善を図らなかった。一社との結び付きが深過ぎる事は同時に同等のリスクも抱えることになり、まして自身に体力がなければ抵抗する術がないと痛感した。
民事再生に至った背景には明確な理由があり、本人も仕方のない結果として受け止めている。自立度の強化に遅れをとり、自身の会社を自身で存続するための手段・戦略に欠け、根本的な舵取りは発揮できなかった。民事再生前の営業は売上げの絶対額が多くないと資金繰りが逼迫してしまう不安を常に抱えていた状態であったが、再生後(再生計画認可後)は売上げの絶対額を維持する必要はなくなり、利幅のある注文を選別し、販売先の間口もバランスを考慮しながら整備を進めての営業を心掛けている。