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いわゆるITバブル期に売上高が飛躍的に拡大、電子商取引サイト立ち上げブームという追い風もあって株式公開を目論んでいたものの、ITバブルが崩壊。以降、IT投資が一気に冷めたことから急速に業績が悪化し、赤字転落に至った。
所在地 | 東京都 |
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業種 | 受託開発ソフトウェア業、パッケージソフトウェア業 |
従業員数 | 27名(2007年3月現在) |
設立・創業 | 設立1996年6月・創業1995年5月 |
事業分野 | ソフトウェア、情報システム開発、インターネット |
事業概要 | 電子商取引(EC)関連ソリューションの提供、Webシステム開発支援ソフトの製造販売、パッケージソフトウェアの製造販売、ソフトウェアウェアライセンス事業、Webサービスにおける業務システム受託開発サービスおよび各種代行サービスを展開している。 |
大手インターネットサービスプロバイダー(ISP)に同社の製品が採用されるなど、デファクトスタンダードとして順調に顧客を獲得していたが、2000年のITバブルの崩壊にともない、顧客企業が一斉にIT投資を控え受注環境が急速に冷え込んだ。この時、製品開発や間接部門などのバックオフィスに経営者の管理が行き届いておらず、受注が大きく減少するなかでも、費用のかさむ製品開発プロジェクトだけが継続された。その後、開発プロジェクトにブレーキをかけるも、既に赤字は10億円にまで膨らんでいた。機を逸したのは、同社の技術が注目を集めた矢先のITバブル崩壊であったため、「売れる」というイメージや思い込みだけで暴走し、積み重ねてきたものを断念できなかったためであり、結果的に赤字へと転落することとなった。
インターネット黎明期の1996年に創業。日本で初めてISP向けにカード決済を利用した「RTSシステム」を開発して以来、電子商取引(EC)にフォーカスし、アプリケーションパッケージの開発、コンサルティングを行ってきた。特にECサイトのバックオフィスを支えるパッケージソフトの開発やライセンス事業、ソリューションに特化し高機能を実現。いわゆるデファクトスタンダードとして有力ECサイトに相次いで採用され、ECサイト立ち上げブームという追い風もあって急速に社業を拡大していった。
2000年には電機系F社や独立系O社など大手ISPのECサイトに同社の製品が相次いで採用されるなど、順調に顧客を獲得していった。しかし、2000年の世界的なITバブルの崩壊にともない、ISPやECサイトを中心とした顧客企業が一斉にIT投資を控える動きに転じ、受注環境が急速に冷え込んだ。また、顧客のシステムのリプレイス時期が丁度この時期と重なり、見込んでいた数多くの受注が消滅、同社の事業環境悪化に追い討ちをかけるものとなった。2001年3月期にはついに赤字に転落、上期7億円、下期3億円の通期で10億円もの赤字を計上するに至った。これを期に銀行からの貸しはがしが始まり(M銀2億、S銀1億等)、リストラ等事業の見直し、再建を迫られることとなった。
経営立て直しのため、2001年8月に製品開発プロジェクトにストップをかけ、最大で89名にまで達していた人員も大幅に削減するなど、大胆なリストラを行った。製品開発を控え、経費を徹底的に節減しつつ、ソフトウェアのライセンス売上の落ち込みを受託開発サービス事業への方向転換でしのいでいる。収益性には乏しいものの、受託売上で得たキャッシュにより事業を継続している状況である。この間、デットエクイティ・スワップ(債務株式化)により、借入金を資本に組み入れ、債務超過を回避するとともに、2006年4月にはM銀行からSSマネジメントに借入金、未払利息及び損害金が債権譲渡され、同社経営者本人が同社から買い戻し、多額の債務免除益を出し、銀行借入を大幅に圧縮するなど、財務上の工夫により対外的な信用も少しずつではあるが回復しつつある。
バックオフィスが経営者による管理から離れ、高コスト体質化
製品開発や間接部門などのバックオフィスに経営者の管理が行き届かず、大規模な製品開発プロジェクトが数多く進み、それに伴う増員など、高コストな企業体質となっていた。ITバブル崩壊によって、受注が大きく減少するなかでも、費用のかさむ製品開発プロジェクトだけは進められており、これが赤字を垂れ流す原因となった。
ITバブルの崩壊による顧客企業のIT投資抑制
インターネットの普及に伴い急増するECサイトへの、日本発となる独自の決済サービスの提供で注目を集めるも、ITバブル崩壊を機に顧客企業が一斉に投資抑制を始め、受注環境が急速に悪化した。多額の投下資金に見合う収益を得られず、蓄積されたソフトウェア資産の償却負担が重荷となり赤字へと転落した。
2000年に行った第三者割当増資の際の一株の評価額は額面金額を大きく上回り(1株当りO証券は400万円、U証券は100万円を提示)、それを元手に多額の資金をパッケージ製品事業に当てたが、投下資本を回収するだけの売上を得ることができなかった。技術力にはもともと定評があり、その当時の製品紹介イベントにも1500人が集まるなど盛況ぶりであった。さらに世界最大手のソフトベンダーから出資の申し出を受けるなど、注目度の高さは群を抜いていた。こうした状況から、経営者の「必ず売れる」という自信につながったと考えられる。大規模な開発プロジェクトを複数走らせながら、経営者自信は次ぎの新しい製品開発の構想を練っていた。この矢先にITバブルが崩壊。受注が先細り売上が立たない状況にもかかわらず、開発プロジェクトは継続された。その後、開発プロジェクトにブレーキをかけるも、赤字は10億に膨らんでいた。同社の技術が注目を集めた矢先のITバブル崩壊であったため、積み重ねてきた開発プロジェクトを断念できず、機を逸することとなった。
インターネット関連企業の成長とそれに過大な期待を寄せた投資家の過剰投資によってもたらされたITバブル現象は、2000年であえなく崩壊した。同社はインターネットブームの高まりとともに注目を集め、業容を拡大させることに成功した。導入実績を積み上げて、株式公開を視野に入れつつ、資金調達した原資をもとに開発プロジェクトを推し進めていた。その最中、ITバブルがはじけ、IT投資を抑制する動きに転じ、同社は急激な市場環境の悪化に直面することとなった。
同社の従業員数はその当時ピークを迎えており、業界から注目された開発プロジェクトも複数進行中であった。経営者は当時を振り返り、「規模が大きくなると慣性の法則のようなものが働き、ストップできなかった」と話している。急激な市場環境の変化に柔軟に対応できず制御不能に陥っていった状況がうかがえる。
こうした市場におけるニーズや環境の変化を察知するには、マーケティングリサーチが欠かせない。特に日本の技術系ベンチャーは作ることが先行してしまい、マーケティング戦略が欠如している。「売れる」というイメージや思い込みだけで走り出してしまうのが、自社も含め日本のベンチャー企業の特質だと、同社の経営者は指摘している。
また、赤字を垂れ流したバックオフィスの暴走は、マネジメント能力を持つ人材の不足にも起因しているという。ベンチャー企業は成長段階ごとに必要な人材が異なっており、成長スピードに人材がついていけなかった。これは成長・拡大期にあるベンチャー企業の多くが抱える課題でもある。
インターネットブームに乗ったものの、ITバブルの崩壊により下降線を辿っていったのは数多くのネットベンチャーと同じだが、同社の設立はこれらの企業より早く、インターネットもまだ普及していない時代である。技術の蓄積、新しいITビジネスに対する感性は他のネットベンチャーとは同列に扱うことはできない。無数のネットベンチャーのように姿を消すことなく、現在も事業を継続できている所以であろう。
同社は日本での上場を諦め、米国での上場を視野に入れ、準備に入っているという。SEC(米国証券取引委員会)からの認可が間もなく下りる予定とのことで、同社の技術力の高さに注目し、早くも米国の名門銀行が動き出し、交渉段階に入っているとも聞かれる。