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株式の公開を視野に入れ、更なる飛躍を目指すために社長の独断により米社製品を大量に仕入れたが、計画通り販売が伸びず、過剰在庫を抱えることに。販売不振が長引いたことから、資金繰りが悪化し、民事再生法の申請に踏み切った。
所在地 | 東京都 |
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業種 | 製造業、小売・卸売業 |
従業員数 | 52名 |
設立・創業 | 設立:1977年11月/創業:1965年 |
事業分野 | 医療機器の製造・輸入・販売 |
事業概要 | 医療機器(業務用・家庭用)の製造・輸入・販売を手掛け、自社製品の近赤外線治療器の取り扱いを主軸としている。同製品は、光の中で最も深達性の高い波長帯の近赤外線を、高出力でスポット上に照射する光線治療器であり、操作性、治療効果、安全性など医療現場における様々なニーズに対応している。 |
社長の年齢 | 29歳以下 |
創業時の属性 (職業) |
その他(個人事業) |
自社製品である近赤外線治療器の売上は好調に推移していたが、一つの商品に依存することへのリスク回避に加え、株式の公開を目指しており、ベンチャーキャピタルや証券会社からの強い勧めもあり、取り扱いが難しい第二の商品を、社長の判断により600台購入。しかし、販売計画の見込みとずれが生じ、過剰な在庫を抱えることとなった。銀行により運転資金を調達していたが、販売不振が長引いたことで資金繰りの悪化に拍車が掛かった結果、民事再生法の申請に踏み切った。
1967年の創業で、1977年11月設立。自社ブランドである近赤外線治療器の販売を主力に営業を開始した。同製品は、光の中で最も深達性の高い波長帯の近赤外線を、高出力でスポット上に照射する光線治療器であり、操作性、治療効果、安全性など医療現場における様々なニーズに対応している。販売の見通しが出てきたことから、札幌、仙台、横浜、埼玉、名古屋、大阪、広島、四国、福岡に営業所を設置、全国に展開を拡大していった。売上高は順調に推移し、1998年3月期に13億4,300万円であった売上高は、ピーク時となる2003年3月期には23億9,800万円を計上した。
自社製品で売上は好調に推移していたが、一つの商品に依存することへのリスク回避に加え、当時、株式の公開を前向きに考えており、ベンチャーキャピタルや証券会社からの強い勧めもあり、同製品に代わる主力製品の取り扱いを模索していた。そこで、米国社製の神経検査装置Aの輸入販売を始めることとした。その際、社長の判断から600台(仕入価格1台120万円)の製品を在庫として一括購入したものの、販売が計画通り軌道に乗らず、過剰な在庫を抱えることとなった。
取り扱いが難しい商品であったことから販売が計画通り進まなかったが、「売れなければ引き取る」ことを条件として追加することで販売促進につなげることとした。また、銀行借入により運転資金を調達することで当面のつなぎ資金とした。上記の条件を付け加えたことで販売は増加し、600台の在庫の内、一時期200台近くが成約となったが、その後、売れ残り商品が返品されたことで実質70台の販売にとどまった。また、銀行により運転資金を調達していたが、販売不振が長引いたことで資金繰りの悪化に拍車が掛かった。結果、2004年民事再生法の申請に踏み切った。
経営者の判断を抑止できない体制
創業者一族である経営者の判断に大きく依存しており、決定は絶対であった。経営者のリスクの高い大胆な経営判断に、周囲は疑問や中止を求めることができなかった。
販売計画の見込み違い
社長の判断により600台の米社製品を購入。その後の販売不振により過剰な在庫を抱えることとなった。当時、取締役会では大量の在庫取得に反対の意見も出たが、社長の独断により購入に踏み切った。
2003年3月期には24億円弱の売上高を計上していたが、その90%近くが近赤外線治療器の売上によるものであった。当時、株式公開を目指しており、ベンチャーキャピタルや証券会社から勧められたことで、同製品に代わる主力製品の育成を模索しており、そこに現れた新製品の話であった。新製品取扱への期待ばかりが先走り、販売予測の分析が疎かとなった。周囲からの声もあり、冷静な経営判断が鈍ってしまった可能性が高い。
銀行やベンチャーキャピタル、証券会社は順風満帆な時こそ強力な支援を得られるが、成長速度が鈍化したり、下降線となった時は手のひらを返したような態度となり、敵にもなる。主力商品近赤外線治療器の需要は底堅く、それだけでも十分な利益を出せる体質であったが、上場という文字が見えはじめ、彼らから急き立てられるように、第二の主力商品の取り扱いに躍起になり、結果として大量の在庫を抱えることとなる。
オーナー社長1人の判断に大きく依存することなく、協議による意見集約を重んじることで、経営判断を誤るリスクを軽減させることができたのではないか。また、経営者の経験や感覚に大きく依存せず、リサーチに基づく判断の必要性を実感している。経営者は、学者や評論家など一部の意見に影響されやすく、現場の感覚とズレが生じるケースがある。客観的に判断し、周囲の声はまず疑ってみることが必要である。
民事再生手続開始申立後は、医療機器等卸売業者であるF社の100%出資子会社となった。近赤外線治療器の特許は2005年に切れたものの、長年の実績を背景に製品への評価は底堅く、引き続き安定した売上を確保している。近年は黒字計上を続け、親会社の支援も得て、2006年9月には民事再生手続を終結させている。引き続き後継機の開発が課題となっているが、親会社支援の下、2〜3年後を目処にじっくりと時間を掛けて開発していくとしている。