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下請け経営からの脱却を目指し、独自のノウハウを構築するためにM&Aを積極的に展開。無理な投資もあったが、社長の一存で抑止力が働かなかった。IT不況の中、M&Aの効果は限定的だったが、グループ企業への投資をストップするタイミングを失っていた。グループ企業のうち1社が経営破たんし、その影響を受け連鎖倒産した。
業種 | 製造業 |
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従業員数 | 185名(2007年7月現在) |
設立・創業 | 1960年代 |
事業分野 | 半導体、電子機器 |
事業概要 | 事務機器、AV機器、デジタルカメラなどの電子機器の部品実装と製品組立てを主力とし、顧客からのニーズに応えた、多品種少量生産や、開発から量産までの多岐にわたるサービスを提供している。 |
社長の年齢 | 29歳以下 |
創業時の属性 (職業) |
会社勤務(会社役員) |
大手メーカーの下請け企業として成長し、念願の株式公開を果たしたのち、大手からの下請け経営からの脱却を目指し、独自のノウハウを構築するために社長の一存でM&Aを積極的に展開。しかし、IT不況が吹き荒れるなか思うような結果は得られず、グループ企業への投資をストップするタイミングを失い、傘下におさめたグループ企業の1社が経営破たん。連帯保証債務により連鎖倒産した。
勤務していた企業が上場を断念したことがきっかけとなり、独立開業を決意。電子部品の組立て等、地方のメーカーの下請け企業として創業した。創業当初は、外注(内職)に製造の大半を依頼し、それを納品していたが、販売先からの受注増に対応するために1975年に県内に工場を設置、その後、78年、80年、81年、83年に工場をそれぞれ新設した。1982年は、従業員が100人を超え、年間売上高も12億円に達し、株式公開を目標に据えた。工場の増設に伴い製造品や取引先の拡大も図り、取引先の要望に応じるために設備投資も積極的に行った。大手企業との取引実績を重ねることで信用度が高まり、全国からの発注が増えていった。そして93年には念願の株式公開を果たした。
積極的な設備投資により大手を中心に受注基盤は確立されたが、反面、大手ほど要求はシビアで、尚且つ、業績に与える影響は大きかった。そのため、大手に左右されない経営を目指し、独自のノウハウを構築するためにM&Aを積極的に展開し、新規分野への進出を図った。同時に、これらの傘下に収めた企業に対して積極的な経営資源の投入を行い、グループ企業のうち有望な会社の株式公開を前提とした資本政策等が実行にうつされていった。しかし、思うような業績を上げることが出来ず、また他のグループ会社は採算割れが続き、グループ企業のうちの1社が2002年4月に経営破たん。同社の約12億円の連帯保証を当社が負っていたため多大な影響を受けた。その時、IT不況の真っ只中にあり、本業の受注が激減し売上高は前年度比でマイナス40%にとどまり、約5億円の赤字を計上していたため、一気に資金繰りに行き詰まり、2002年4月会社更生法の手続開始を申し立て倒産した。
県内製造工場の数ヶ所を一時停止し、県外の営業所、開発拠点を閉鎖。全従業員の35%に当る90人の希望退職者の募集を実施した。また、グループ企業全ての株式を売却し、スリム化を図り、経営資源を本業へと回帰し、経営トップも交替し本業である製造業の営業を精力的に実施した。しかし、グループ会社の破綻による債務履行が行き詰まり、これ以上の自力での再建は困難と判断し、会社更生法による再建の道を選択した。
2002年4月に会社更生法手続開始を申し立て、同年5月にはスポンサー企業が見つかった。申立ての手続きを依頼した東京の弁護士が、経験が豊富であったと同時に幅広い人脈を持っていたために、早急にスポンサー企業が見つかった。6月には同弁護士の紹介で金融機関からの支援も得られ、再生計画がスピーディーに進んだ。
経営判断のすべてが社長の一存で決まる組織体質
自分の考えだけで先走りする傾向が強かった。創業者に対し的確に助言やストップがかけられる人間も不在であったために、身の丈に合わない過剰投資を抑制させることが出来なかった。
独自技術の獲得に焦り、M&Aを急いだ
元々下請中心であったため、自社で製品を開発する能力が乏しく、又、社員の大半が技術者であったため営業力も弱いため、どうしても取引先への依存度が高かった。この傾向を打破しようと創業者はベンチャー企業への投資を積極的に推し進めたが、目論見通りの結果が得られないばかりか、本体の経営を逼迫させることとなった。
独自の技術をもつことにより、経営基盤を固めようという狙いは間違いではないが、グループ企業のシナジー効果を発揮できず、各社の業績も思ったより成果が得られなかった。社長自身が下した判断であり、ぎりぎりまで我慢を続けたが、結局グループ企業への投資をストップするタイミングが遅すぎた。
当時、急激なITバブルとその反動であるIT不況が吹き荒れ、当社の業績も乱高下を繰り返した。だからこそ、下請けからの脱却を目指し、独自技術の獲得のためM&Aを進めたわけであるが、不況に耐えながら、グループ企業を支援していくだけの体力を持たなかったのも事実であろう。
堅実な経営をしていれば失敗はなかったが、創業者は拡大志向が強すぎた。無謀なM&Aや過剰な投資に対して的確に助言できる人物がいれば、倒産は回避することが出来たであろう。また、会社の規模は大きくなったが、人材の育成は遅れたままで、次期経営者となるべき人物の存在が無かった事も理由の一つとして考えられ、業歴並びに規模に応じて後継者の育成を進めるべきであった(次期社長となったのは異業種よりヘッドハンティングして獲得した人物)。経営者と対等に話のできる役員若しくは社員の存在は必要不可欠。また、役員並びに社員からの話をきちんと聞く経営者の姿勢も大事である。
元々いた役員は全員退社し、現在は40歳代の社員を中心に会社を運営している。倒産したときには、今後どうなるのか全く分からず不安だらけであったが、まずは頑張ってみようと残された社員が男女関係無く、一生懸命働いたことで、倒産後のほうが一体感が強まったと社員は話しており、ワンマン経営から脱皮した新しい会社として順調に経営再建を進めている。