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大手企業への相手先ブランド製品製造販売(OEM)という形態で事業を拡大してきたが、自社ブランドの販売にこだわったことからOEM供給を中断、自社の営業力不足を認識しないまま、営業展開をすすめ、売上が激減、大幅な赤字計上に陥った。
所在地 | 新潟県 |
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業種 | 製造業 |
従業員数 | 2名 |
設立・創業 | 設立:平成14年8月/創業:平成13年8 |
事業分野 | その他(化粧品・化粧品原料の製造販売) |
事業概要 | 国内では主に院内製剤として使用され、市販の化粧品として商品化が難しいとされてきた成分を配合した化粧品の開発に成功。同成分配合化粧品としてスキンミルクやポイントクリーム、ホワイトエッセンス等、自社商品の製造販売を行っている。 |
社長の年齢 | 30歳代 |
創業時の属性 (職業) |
会社勤務(中途退社) |
大手企業を相手にOEM受託により業容を拡大していたが、自社ブランドの販売にこだわり、OEM受託を中断し、自社営業をおこなったことから、業績の大幅な悪化を招いた。
母親が元々化粧品関連の事業を展開するも失敗した経緯があり、学生時代よりその時の化粧品ブランドを再度、立ち上げたい意向があった。大手製薬メーカーに就職してノウハウを取得。退社後は大学との協力により研究・開発を重ね、特殊成分配合化粧品の開発に成功。これを事業化すべく起業するに至った。平成13年8月に個人経営にて起業、同年9月某県中小企業公社による「事業可能性評価委員会(FS調査)」に採択される。その後、事業拡大を図るべく、知人などの出資を得て平成14年に会社を設立。その後、特殊成分配合化粧品の製法開発に成功。他にもこれまで産業廃棄物となっていた赤ワインの澱を配合した化粧品の開発に成功する。こうした研究開発が評価され平成16年財団法人の「わざづくり支援補助事業」に採択。更に「ベンチャーフェアJAPAN2005」、フランス・リヨンの「BIO_SQUARE」、アメリカ「BIO2005」に出展、珍しいバイオケミカルのベンチャー企業として注目を集める。同時期に大手企業からのOEM受託にて販売をスタート。地元の投資ファンドより投資を受ける等、着実に経営基盤を固めて行き、受託生産を軌道に乗せ、大手企業の強力な販売網を背景に売上を伸ばしていった。
大手化粧品メーカーのOEM受託生産などで順調に事業を軌道に乗せて来たが、自社ブランドとして再度、営業基盤を構築すべく、大手化粧品メーカーを主体としたOEM受託製品の販売を縮小させいき、最終的にはOEM生産を中断した。しかし、クリニックや開業医、薬局などを対象に営業をかけたが、スムーズに拡販が進むことはなく、営業実績が殆ど挙がらなかった。
売上の90%を占めていたOEM事業からの撤退で売上が激減。圧倒的な売上不振の連続で大幅赤字を計上。これまでは無借金運営で展開して来たが、赤字の影響に負債も膨らみ、経営内容は大きく悪化した。
OEM受託生産を中断後、営業不振が続く中、すぐに人員削減などのリストラ策を実行しなかったなど、対処が後手にまわったため、大幅な赤字となったが、現在は人員削減、事業所より撤退と事業規模を縮小し、また過去に取引を拡大していた大手取引先との取引を再度、スタート。平行して、自社商品の開発を進めて同社との契約拡大を狙っている。これらの対処の結果は今後問われることになるが、ある程度の業績回復は見込まれる。
自社の営業力に対する認識不足
新卒及び中途などで社員を採用していたが、化学的で特異な知識を必要とするプレゼンテーションを行う営業となるため、実質、代表一人で展開していた。営業組織の基盤は築けていなかった。取引先によるテレビショッピングや広告媒体による営業効果が大きかったが、足を使う営業だけでは、拡大した事業規模を補うだけの売上効果を得られなかった。
自社ブランド販売へのこだわり
大手へのOEM受託供給により安定した売上を確保していたにもかかわらず、自社ブランドの販売にこだわり、自社営業を展開するも、OEM中断による売上減少をカバーするには至らなかった。独自性のある自社商品のおごりもあり、営業環境の把握や市場見通しが甘かった。
自社ブランドでの市場販売を急ぎすぎた。判断の背景として、OEM受託商品に関しては大手業者等にその利益を吸い上げられ収益性が落ちるため、この状況を打破したいと判断、対外的な信用も高まるとの思惑もあった。財務的にも無借金運営で余力があったため、ある程度事業を拡大した後に方向を転換するよりも、まだ規模が小さい段階で転換した方が、リスクが少ないとの判断もあった。
化粧品という特殊業界での新規参入とあって、大手メーカーとの競合や情報戦略等、知名度が高まるほど、立ち塞がる壁が多くなった。
OEM受託製品の販売を継続し、事業体として安定的な収入を得る事を先決に考えるべきであった。自社ブランドの戦略に関しては別会社を設立し展開するなどしていれば、現状の経営状態にまで陥ることはなかった。身の丈にあった経営を行うことが大事であった。資金力がなく、開発力で勝負するベンチャーといった業態柄、まずは収入の柱を安定させ、経営基盤を安定化させることが重要である。
結果としてOEM受託製品の販売より撤退した点は失敗であるが、撤退後、営業不振が続く中、人員削減などのリストラ策を実行しなかったなど、後手後手の経営にまわった点も大きい。現在は人員をリストラ、事業所より撤退と事業規模を縮小、また過去に取引を拡大していたD社との取引を再度、スタート。自社商品の開発を進めて同社との契約拡大を狙っている。